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あの日、いた場所に父はもういない。

​ただ私だけが残された。

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知り合いの娘さんが、二十歳を越えても父親とお風呂に入っている

という話を、ある日父は聞いてきた。

私が小学 5 年か 6 年生の頃だったように思う。

 

父は子供のおしめも代えたことはないし、

入学式も運動会にも来たことのないような、

自分の子どものために、時間を割かない、割く気はないそんな人だった。

 

お風呂に一緒に、入るように言われた。

物心ついた頃から、ずっと一人で入る習慣だった。

絶対父権のような状態の家で断るという選択権は与えられていなかった。

もとから拒否権はない、そんな家庭だった。

 

工場で仕事をすることや、

巨大な花畑の水やりといった肉体労働をさせられること。

そんな事よりも、

何よりも嫌だった。

 

不快感しかなかった。

「違うと思う。」違和感を口に出来なかった。

自分の答えが、強く、否定されたように感じた。

 

あの時のことを、彼は覚えていないだろう。

ただ、私だけがとり残されてる。

あの記憶は、どんなものなのか。

いつか、懐かしいものへと変えることが出来るのだろうか

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《あの日、いた場所に父はもういない。ただ私だけが残された。》

  2016年  インスタレーション

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